2015年9月15日火曜日

編集委員のエッセイ

2008年度から、もう7年間も編集委員を務めてしまった山本です。
『佛大社会学』は既に39号の歴史がある格調高い学術誌で、私の前に諸先輩方がその時々の編集を行ってこられましたが、近年の私が実務を担当するようになってからの所感をエッセイとして記したいと思います。


当機関誌はまず査読の無い、自治的研究会による出版物ですので、気軽に実験的な論文、あるいは研究の端緒にあたるような論考を投稿することが可能な学術誌です。


過去10年間において、主な投稿は博士課程大学院生および修了生によるものですが、しばしば教員会員や通信・通学の修士修了生による投稿もありました。


一般的にいって、社会学の学術誌は国内において、以下の種類があるものと思います。


(1) 広域の社会学会(日本社会学会や関西社会学会)による学術誌、例えば『社会学評論』
(2) 専門別あるいは連字符の社会学会機関誌、例えば『社会学史研究』
(3) 大学や研究所の紀要
(4) 大学内研究科が自主的に編集する雑誌


一般に知名度や投稿のハードルの高さも上から順番になるのではないかと思われますが、(4)は例外的に外部会員を認めて知名度の高い雑誌の場合(ソシオロジとか)もあります。


本学の場合、社会学部では『社会学部論集』『大学院紀要』そして『佛大社会学』があります。
 * 過去2-3年ほど論集と紀要は形式的に私が編集長で、雑誌関連は全体的に私がやってきたためそろそろバトンタッチしたいです、とても勉強になりました。


大学院に在籍の方、修了生の方にとっては後者二つが、まずもっとも身近で投稿しやすい媒体であり、もちろん研究職を志望する場合には学会誌にどんどん投稿しなければいけないのは明白でしょうが、実は学内の雑誌にも、それなりに良い部分も大いにあるのだ、と思う次第です。


一般的に、査読学会誌は知名度があがれば上がるほど投稿本数は増え、リジェクトされるケースも増加します。某機関誌では倍率数倍だといった話も良く耳にします。
そうしますと、どうしても論文の内容よりも先にまず体裁をきっちりと整え、「はじめに」で問題をきっちりとオリジナリティある観点から厳密に限定し、用語や概念に論理学的な一貫性を持たせて、「研究の方法」や註釈において、なぜ先行研究のこの部分は有名だが本論ではあまり使わなかった/使えなかったのかを、逐一エクスキューズしなければなりません。
その上で、内容が面白いと思われる論文を提出することが目標となってきます。
ここでは、ベンヤミンやジンメルの書いたようなエッセイが掲載可とされる余地はほとんどありません。


無論、こうした執筆方法論上の厳密さや統一性が求められ、ある程度客観的に判断できるメルクマールでもって、掲載可否が判断されることは仕方のないことであり、また見方によっては良い部分も多く含まれます。


しかし、数を重ねて投稿論文を書いていると、やや機械的な部分がどうしても生じてしまい、書く愉しみの一部が損なわれているなと感じたり、面白いと思う論点でも、問題の限定性からすると外さざるを得ないために展開できない部分がでてくることも、多くの人が経験することであると思います。


そもそも論でいえば、若干大きなテーマや論文一つでは展開しきれない要素、あるいは遊びの部分は、そうした論文を丁寧に書き集めて、将来一冊の本にする際に加筆修正して自説を作るべきだということも言え、それはとても尤もであります。
しかし研究を始めたばかりの博士課程において、それでも、ちょっぴり知的な大風呂敷を広げてみたいとか、難しいことは分かっていても「民主主義って何だ」というテーマを通奏低音として組み入れたいとか、それ以前に文章で遊んでみたいという欲望は押さえがたくあって、ちょっと書いてみたらやっぱり査読でその部分を止めろと言われてそのジレンマに悩む、ということも多くの若手研究者が感じることではないでしょうか。


その上で、本学における『大学院紀要』は、多くの場合修士学位論文を修正したものや、学会誌に投稿するほど自信をもってオリジナリティある観点にあふれた原稿ではないけれども、手堅く先行研究のある部分を整理しなおしたいといったような、いわば習作や足場を固める研究を投稿する場として使われているのかな、と近年の投稿をみていて感じました。


『大学院紀要』は明白に、研究科が出版する公式性の高い学術誌であり、指導教員を含む2名の査読が入りますので、どの大学でもそうした傾向にあるのではないでしょうか。


これに対して、『佛大社会学』は少なくとも私が編集委員となってからは、もう少し緩やかで査読形式を採らない(編集委員会からの注文が入る場合はあっても)、同人誌に近い位置づけの雑誌です。
私個人の話をすると、こちらに出したものは学会誌に投稿するほど書き方の体裁には気を使わずに、書きたい内容を展開したものが多いように思います。


もちろん、だからといって何でもアリではありませんし、各投稿者が自身の責任でもって、その都度自信のあるものを投稿してきた、その積み重ねが雑誌の格調高さであるわけです。




会員各位の投稿をお待ちしています。


山本奈生

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